9/2 from Hama ( Crac des Chevaliers )


またまた寝坊した。ホント最悪。完全に旅の中だるみだよ・・・

ファラフェルとコーラで朝食をとる。コーラはファーストフードとよくあう。

コーラほど世界中に浸透しているものはないと思う。

どこへ行ってもColaだけは世界共通の言葉。


クラック・デ・シュバリエという、シリアではパルミラ遺跡の次に観光名所に挙げられているお城がある。

ラピュタのモデルとなったお城・・・という話もあるけど、それは嘘だと思う。

アンコールワットのベンメリア遺跡もモデルだと言われていたし。


とにかく、そこへ行こうと思うけど、ハマ→ホムス→ホスンというルートでバスを乗り継いで行かなくてはならない。

遅く起きすぎたため、バスの便もあんまりない。


それでもなんとかデ・シュバリエに到着した。


余談だけど、シリア人は美人が多い。

というのは、肌が白くて、眼が青くて、髪の毛がブロンドで直毛の人が増えるからかもしれない。もちろん鼻が高くてスタイルもいい。

ヨルダンから比べると、間違いなくヨーロッパに近づいているのがわかる。

シリア人にブサイクの人はほとんどいないと思う。

ただ、全身を布でしっかり覆っているので、セクシーさは感じない。



エルサレム奪回のために十字軍が占領したクラック・デ・シュバリエ城

Crac des Chevaliers03


お城は小高い丘にそびえ立っているから、最上階からの眺めが最高

Crac des Chevaliers02

ホスンは土地がやせているシリアでは珍しく農耕地帯で、

畑があったり、農耕車が走っていました。


シリア人の観光客がたくさんいました。

かっこいい親子↓

親子



お城は迷路みたいでたくさん部屋がある。

Crac des Chevaliers


中から↓

Crac des Chevaliers07


天井↓

Crac des Chevaliers05


階段↓

Crac des Chevaliers04


休日だからか、夜はパーティーが行われるらしい

メイン会場にはイスがたくさん並べられていて、マイクチェックや簡単なリハーサルが行われていました。結構でかいパーティーなのかも。

party


夕方からライトアップ開始

Crac des Chevaliers06


展示されていた絵画

絵画


お城のレストランでレバノンビールを飲めました。

lebanese beer


二人仲良くたたずんでいる風景をバシャ。

佇み

シリア人は話かけるついでにタバコをくれます。

タバコ吸っててよかった~って思えるのはこの瞬間です。

彼らからもタバコをもらいました。

ちなみに、シリア人は男同士でも仲がいいと手をつなぎます。

はじめはホモかと思ったけど、ただの友達みたいです。


お城を外から撮ってみると・・・

Crac des Chevaliers08

天空の城っぽい?!



18時前になり、ハマへ帰ろうと思うけど、セルビス(乗合ワゴンタクシー)がない。

誰に聞いても、もうセルビスは3時で終わりだという。

確かにロンプラにもそう書いてある。

クラックデシュバリエがあるホスン村は確かに小さくてのどかだから、便がないのもうなずける。


やばい、、、

残された手段は3つ。


1.10ドルほど払ってタクシーに乗り途中のホムスまで行く。

2.ここに泊まる。宿代は5ドルほど

3.ハイウェイまで出て、ヒッチハイク


タクシーを使うよりは泊まったほうが安い。

パーティーを見れるのなら泊まっても良い。

でも、パーティーに入るには入場許可書がいるらしくて、ムリだとわかった。

道端で迷っているうちに、1台のセルビスが泊まった。

ハイウェイまでのせてやるよ、と言って。


それでは、ハイウェイでタクシーかセルビスを捕まえればいいか!

そう思ってハイウェイまで出た。


日本の高速道路みたいな道だ。

タクシーが止まるはずもない。



陽がくれる前になんとかせねば・・・

本気ヒッチハイク開始。


5分~10分たった頃、1台の車が止まった。

・・・警察の車だった。パスポートを見せろ・・・

なんとか事なきを得た。


そんな頃、反対車線で1台の車が止まり、誰かこっちへ走ってきた。

6ドル払ったら乗せてやる。

ちょっと怪しいニオイを感じた。

断っても断っても車に乗せようとする。

なんとか振り切ってヒッチハイク再開。


ちょっと不安になってきた頃、またもや反対車線で1台のワゴンが止まった。

ホムスとは反対のラッタキアまで行って、その後またホムスに戻るけどいいか??

仕事でラッタキア・ホムス間を往復しているらしい。

今度は大丈夫そうだ。

よし、ヒッチハイクに成功した!


ジャン・レノに似たおじさんは車内で落花生をくれた。いろんな話をした。

途中でガソリンスタンドに寄ったけど金を請求されるわけでもない。

安心している頃、地中海が見えてきてラッタキアに到着したことがわかった。

そして、ラッタキアのバスターミナルに着いた。


・・・


ようやくわかった。

この車はセルビスだったのだ。

セルビスはいつも中に満員の人が乗っているものだから、まったく気づかなかった。


・・まあ、帰れるんだから良かったということで。



ホムスへ戻る時も客として乗せてくれたが、相変わらず落花生をくれたり助手席に乗せてくれたりして、

ちょっとした特別待遇をしてもらった。


運転手の友達という人が同乗していて、アル中の彼は俺にビールをおごってくれた。

だけど、酔っ払いの話相手をさせられ、臭い息をかけられ、ちょっと勘弁してほしかった。


ホムスへ到着して、しっかりと金を請求された。

やっぱり商売は商売なんだね。



なんとかホムスからハマまでもセルビスをつかまえて、宿へ戻る。

結局、自分が遅くおきたばっかりに苦労している。

自業自得なんだよね。



めちゃくちゃ腹が減って、メシを探すけど、あんまりいい食堂が見当たらない。

こういうところが中東のいやなところだ。

アジアなら探すまでもなく道端どこへ行っても好きなものを食べられるのに。

結局、昨日と同じ店で食べた。


帰り際の道端で、何か特設会場があって、人が集まっていた。

TVカメラもあった。


ある男が俺のことを見るなり、おもしろがって俺の腕をつかんできて、すごい力で会場の真ん中まで連れて行かれた。

テレビカメラに映ってしまった自分は、ピースサインをして帰ったのだった。



ハマの時計台

Clock Tower in Hama





旅人は嫌われる存在。

ピュアな心

自分は自分だけの発見・体験をしたいと思っている。

でも、そんなことはありえない。

小さい人間だ。

それでも









また、旅行者は一日中何かのサービスを消費し続けるわけで・・・。

何も生み出さない代わりに、ずっとお金を流し続ける。10円20円の損得を毎日考えながら生活をする。本当に払う価値があるかどうか考えている。

にぎわう店といつまでたっても客が入らない店。

初めて来た土地で何も知らない自分がどの店に惹かれるのか。

中東ではコンビ二と呼べるような店はほとんど見なかった。道端での商店では、もちろん定価など存在せず、交渉とお得意様という非常に人間的な商売方法だ。とても非効率的だからこそ、人々の親切心がないと生きていけないし、心にしみる。







自分が旅に出たのは、もちろんそれが楽しいからです。

現実を離れて、バカンスを楽しみたかったからです。

でも、もちろんそれだけならディズニーランドへ行けばいい。


ディズニーランドと違うのは、現実から離れたその場所がまた現実だということ。

カンボジアの物乞いも、グアテマラのティカル遺跡も、シリアのスークも・・・

全て魅せるために作られたアトラクションではなく、歴史の中から必然的に生まれた光景。


みんな自分たちがどうすればより幸福になれるのかを考えてとられた行動でした。

人のことを考えられるような余裕はありません。


終わりがない残酷なもの。

生まれた場所を選べない。

ただそこにたまたま生まれただけなのに。



今でもその地で変わらず物乞いをしているんだろう。


結局当たり前のことしかわからなかった。

でも自分の目で見たあの光景、あの人がいるから強く心に残っている。



9/19 from Bangkok


久しぶりに雨を見た。それもどしゃぶりの。

そう、昨日バンコクに到着してこの旅で初めて雨に遭った。


・・・

イスタンブールを17日に発ち、タイへ寄ったのは、

ここで色々と整理しながら、最後のバカンスを楽しみたいと思ったからです。


日ごとでつけていた日記が全然追いついていませんが、

ここらでちょっと中断して、旅全体について書きたいことを書いてみたいと思います。





中東は、危険なイメージがあります。

自分もはじめは不安でいっぱいでした。

なぜ?

パレスチナ問題?

イラク戦争?

確かにそれは深刻な問題です。

イスラエルのガザ地区や南レバノン、イラクへの渡航は避けるべきです。


でも、それだけで【中東=危険】にしてしまうのは、

日本はカラテが有名だから、日本人はみんなカラテの師範なんだと決め付けられるのと同じです。

中東は世界でもトップクラスの安全な地域だと思います。

窃盗や殺人、強姦などは統計上、比較的少ない数字だということです。

それは、もしかしたらイスラム教が浸透しているからかもしれません。イスラムの教えは正しいことを言っています。

1日に5度コーランが流れ、人々は頻繁にモスクへ訪れ、時間がなくても、道端に絨毯をしいてメッカに向かって何度も頭を下げています。アルコールは口にしません。女性は肌を隠します。

正直言って、こんな忠実に教えを守るなんて日本人には信じられません。

イスラム教によって安全な国になっているのに、

イスラム教によって危険なイメージになってしまっているんだとしたら、

それはとっても皮肉なことです。




中東で頻発する紛争や憎しみは理解しがたいです。

アメリカは嫌われています。

日本にいてはアメリカ側のメディアにしかほとんど触れませんが、

ヨルダンやシリアでは、どうしてアメリカをそんなにも憎んでいるのか色々話してもらいました。

友達や親戚が意味もなく殺された・・・

家がなくなった・・・


みんなそれぞれ、それなりの理由があります。



でも、中東を一筋に『中東』として括らないようにしてほしい、というのと同様に、

アメリカも一筋に『アメリカ』と言ってはいけません。





宇宙からみたら地球は小さい。

人間はもっと小さい。

自分は平和を願うだけです。




・・でも結局わからないことだらけです。

同様にイスラム教についての知識があまりにも乏しすぎました。

中東を旅行するならもっと知っておくべきでした。

これからはもうちょっと勉強したいと思います。




そんな中東へ旅行することをお勧めします。

そこにはきっと素晴らしい光景が待っています。


カイロの喧騒も、ダハブの暑さも、ヌエバの混乱も、ペトラの感動も、死海の不思議も、アンマンの坂道も、ダマスカスの歴史も、パルミラの閑散も、アレッポでの事件も、カッパドキアの大地も、イスタンブールのきれいな街並みも、、、

全てが目に焼きついています。


カイロからエジプトでこんなにも違うもんかというぐらい変化が激しかった。

空港内で普通に歩きタバコ&ポイ捨てしていたカイロ空港から比べると、トルコのカドゥキョイ地区の表参道のような街並みはあまりにも近代的でしょう。

ある意味、都市形成の過程を見た気がします。


何よりも、人が印象的でした。


適当すぎるエジプト人

あの暑さの中、荒れ果てた砂漠の中、人々は知恵を振り絞って生活していました。


一昔前の日本ってこんな感じだったんだろうなーっていう感じのヨルダン人

ミニバスでアラブ音楽ガンガンにかけて走ったのが懐かしい。


なれなれしいぐらい人好きで親切なシリア人

タバコは買わなくても、挨拶がわりに誰もがくれましたね。


オシャレでちょっと気取ったトルコ人

バーや宿のスタッフはなんでそんなにテンションが高いんだろう。



イスラム圏は本当に日本と違う。世界は広い。

黒魔道師みたいな女性がたくさん道を歩いている。

ひげもじゃの渋いオジサンが道でチャイを飲んでいる。

だけど、日本車がたくさん走っていて、TVはソニーだ。


食べ飽きていたファラフェルも、たまには食べたい。

水タバコは毎日でも吸いたい。

コーランの響きが気持ちいい。



そんな中東は、この瞬間もも何も変わらず時間が進んでいるんだな。


9/1 from Hama


居心地のよかったダマスカスからハマへ移動する。

ハマは川と緑があって、のんびりできる所だと聞いた。

ダマスカスからハマへはたった3時間ほどで到着する。


ハマに到着して、ちゃんと方向を確かめてからホテルへ向けて歩きだす。

途中で確認程度に人に道を聞いたら、

あと5分で友達が車で来るからそれに乗ってきな!

と快く言ってくれたので、またまた親切さに便乗してホテルまで送ってもらう。

ありがとうございます。


この旅行初めてのシングルルームをとった。


街へ繰り出すと、そこは古都の匂いがぷんぷんする落ち着いた街だった。

ダマスカスは世界中でもっとも昔から人が住み続けている都市として有名だけど、

ハマはハマで城下町といったカンジか。


街のシンボル、水車が有名。

ハマの水車


川があるから緑もあって、日本を少し思い出す。


水車は回っていませんでしたが、今でも現役らしい。

ハマの水車02


石造りの旧市街

ハマの街並み



シタデルと呼ばれる、小山に上ってみると、

地元の人たちがバーベキューをしていたり、日向ぼっこをしていたり、子供たちが遊具で遊んでいたりと平和な昼下がりといった風景。

そうか、今日は金曜日か。最近曜日の感覚がない。

みんな家族で休日を楽しんでいる。


シタデルから街を見下ろす

ハマの街並み02


日本みたいな公園

Citadel in Hama



小山を下ると、政治的なポスターが。

政治


こういうところはシリアっぽい。

政治



道端で声をかけられ、いきなり腕相撲やらないかと申し込まれる。

菓子屋の力自慢

勝てないっすわ・・・

菓子屋のせがれ、強し。


ヌエバで会って、ぺトラまで一緒に旅行していた東大生にバッタリ遭遇。

日本人旅行者は、みんな学生で同じ期間、同じルートだから

他にも色々な人と再会できる。



夜は大衆レストランでビッグミール。

チキン1羽とピラフを大食い選手権ばりにたいらげた。


腹はいっぱいだけど、ビールは別腹。

水車を見ながら1杯。

ハマの水車03


明日はクラック・デ・シュバリエに行こう。

8/31 from Damascus ( Palmyra )


シリアの観光スポットというと限られているんだけど、

パルミラ遺跡は世界遺産。

シリア旅行のガイドブックにも、パルミラの写真がメインで載っている。

ぺトラ遺跡を見てしまった自分は、パルミラにそこまで興味がわかなかったけど、

シリアへ行ったからにはパルミラへ行こう。


そういうことで、日帰りで遺跡観光を試みる。

ダマスカスからはバスで3時間の場所だ。


ゆっくりめに起きて、ピザパンとフレッシュジュースで腹を満たした後は、

セルビスに乗ってバスターミナルまで。

シリア人は本当に親切だから、目的地さえしっかり決めておけば、

道に迷っても、いろんな人に助けてもらってなんとか行きたいところにたどり着ける。

逆にいえば、旅行者は親切を食わないと生きられない。

本当に申し訳ないけど、最近ちょっと人に頼りすぎている。


パルミラの町へ到着すると、タクシードライバーが待ち構えている。

パルミラは観光でなりたっている町だ。

しかし、近年のシリアの単なる『イメージ』の悪化から、

旅行者は激減しているという。

そんな観光客に飢えた人たちがうようよしているように感じた。


タクシーのおじさんは、遺跡までは2~3キロだが、

5SP(12円)で乗せてやると言う。

怪しい・・・怪しすぎる。


でも言ったからには5SPしか払わないぞ。


タクシーの中では案の定、オプションプランの説明が始まった。

日本人からの紹介文もお決まりのパターン。

「私は福岡から来た○○歳の▲▲です。このおじさんはとても親切にしてくれて、信用できる人です・・・」

という感じに。

オプションプランは、パルミラの全部を効率よくタクシーで回ってガイドしてあげるから15USドルで・・・・

というものだったけど、きっぱりと断った。

おじさんはそれでも色々と情報を与えてくれる。

ありがとう、5SPじゃ安すぎるよね、もう少し払いますよ。

と言っても、たった8SPだったけど、ありったけの小銭を全部あげて別れた。


パルミラ遺跡はどこから始まっているのかわからないぐらい、

砂漠にボツボツと存在する。

入場料もとられない。

それにしても観光客が俺しかいない。

本当にここが世界遺産の場所?!

それとも、ここはメインスポットじゃないのかな・・・


ちょっと不安になりながた、ジリジリと太陽が降り注ぐ中、

ザク、ザク

と1歩1歩歩いていく。


あまりにも日差しが強くて、

アラブ式の頭に巻くターバンみたいなやつを買ってしまった。

(名前がわからない)


結局、パルミラ遺跡で見た観光客はたった3組だったけど、

それはそれで、神秘さが増して、自分の世界に入れたからよかった。



『パルミラの写真↓』


1キロ続くメインストリート

パルミラ


かつての交差点

パルミラ02


ロンプラの写真と同じカットで。

パルミラ03


途中、子供に招かれて民家に行ってみたらチャイをタダでごちそうしてくれました。

子供たち


今日のベストショット

子供たち


やっぱり帰り際に、お土産買って!とねだられた。

ゴメンナサイ。いらないの。




パルミラは崩壊が激しい。

崩壊


怪しいおじさんが遠くから何か叫びながら近づいてきた。

怖い。何も買わないぞーーー!と叫び返した。


近くに来たおじさんは、

俺の写真撮って!

というので、1枚撮ってあげた。


謎のおじさん


写真を撮ると満足げに去っていった。

なんだったんだろう・・・





パルミラはどこまでも続く荒れ果てた砂漠だけど、

オアシスがあって、ヤシの木(Palm)が植えている。

Palmの語源は、このPalmyraから来ているとか・・・

オアシス




かつて雨乞いをしていた場所

雨乞い


同じく

パルミラ04



日も傾いてきた。

パルミラ05



Sじゃないの?

適当さがうかがえる。

間違い



唯一、入場料がかかるところ。

入場料がかかるだけあって、規模が大きく保存状態もよい方だけど、

ただ城壁があって入り口が1個しかないから入場料をとっているんじゃないのかな。

パルミラ06



空はどこまでも青い

パルミラ07




崩れた柱がそこらじゅうに。

崩壊02


パルミラ08



彫刻も見事。

豊作を祈って?!

彫刻




帰りのタクシーを捕まえようとしたら、俺(客)を奪い合ってもう1台のタクシーの運ちゃんが現れ、ケンカが勃発。


ダマスカスから来るときのバスは100SPだったのに、帰りは125SPになるなんて納得がいかない。

そのことを訴えようとしても英語が通じる人はいない。

バスに乗らないわけにもいかないので、しょうがない。

旅行者は地理も物価も知らないので立場が弱い。


ファラフェル屋のおじさんと身振り手振り会話しました。

ファラフェル屋


帰りのバスでは、砂漠に沈む夕日がキレイだったー

パルミラの夕日



めっちゃ腹が減ったため、夕飯はちょっと豪勢に。

モダンなレストランでパスタをテイクアウトしてきてホテルでがっつく。

毎食ファラフェルとシャワルマはさすがに飽きる。


エジプトからシリアまでは痩せている土地が多いから、

昔からあんまり作物が取れないんだろうな。

だから、料理にバリエーションがないんだと思う。



深夜にナルギーレを吸いに地元民が集うカフェへ

明日が金曜日(休日)だからか、12時にもかかわらず、ものすごい人。


さっそく話好きのシリア人が寄ってきて仲良くなる。

カフェにて

彼はスペイン語が俺と同じぐらいのレベルなので、

お互い必死にスペイン語で話をする。

まさかシリアでスペイン語とは。。。


典型的な娯楽の風景。

娯楽


ナルギーレとボードゲーム。

こんなおじさんが街中に溢れているからシリアってなんだかかわいらしい。


人を撮るのは難しいなぁ。

8/30 from Damascus



今日は写真盛りだくさんでダマスカスをお伝え。


かなりお世話になった、宿の近くのカキ氷屋さん。

(1杯=10SP 約25円)

氷屋さん


至る所にあります。

氷屋さん02




シリアに入ってから、ピザ屋さんもたくさん見かけました。

朝食はピザで。

(1枚=5SP 約13円)

ピザ屋



ドリンク屋さんはもはや名物!

その場でジュースを入れてくれます。

ジュース売り




↓十字軍を撃退した英雄、サラディーン像

像




ウマイヤド・モスクへと広がる旧市街のスークは、

キレイに整備されていて、活気あふれてます。

たまに日本語で話しかけられるのが残念。

スーク02


スーク





シリアではフレッシュジュースが安い上にうまい!

サイズや種類、質によってピンきりだけど、

1杯10SP~40SP (25円から100円)

ジュース屋







ウマイヤド・モスクは圧巻。さすが第四の聖地。

風が気持ちよく通ってこんなにまったりできるところ、あまりないです。


ウマイヤド・モスク02


ウマイヤド・モスク03


現在も利用されているモスクとしては、規模も歴史も最大級。

彫刻も丁寧で、どこをみても美しい。

ウマイヤド・モスク



モスクに来る理由はお祈りを捧げるためってのがもちろん一番だけど、

まったりできるくつろぎ空間という意味合いもかなりあると思われる。

つまり憩いの場。



中は中でとても見事。

緑は聖なるカラー

ウマイヤド・モスク05

ウマイヤド・モスク04


おじさんが静かに祈りを捧げているところなんか、

結構ベストショット。

ウマイヤド・モスク06



子供たちはモスクではしゃぐ。まるで幼稚園。

子供たち




モスクを出ると、パン屋の子供たちが。

(一枚5SP 約13円)

パン屋



絨毯で日差しをカット!

ダマスの車





旧市街の町並みは、石畳に当たる日差しがキレイ。

old city02


緑もところどころに生えていて、美しい。

old city





昨日の酒屋まで到着してしまったので、

せっかくだから昼まっからビールを。

酒屋




帰り道にはスパイス屋や、パスタ屋、茶葉屋、お菓子屋が並ぶ。

チャイetc...


パスタ・コーヒー


お菓子屋のせがれたち。

おかし屋の子供



雑誌や新聞たちも思わずパシャ。

雑誌・新聞


旧市街を囲う城壁。

城壁






宿に戻ると、同じドミトリーの人が

「カシュオン山の夜景がキレイだよ」

と教えてくれた。

ついでに一緒についていってくれることに。



途中のモスクで。

アブヌール




タクシーを飛ばして坂をひたすら上り、

風が涼しいから寒いに変わる頃、



眼下に現れるのは、、、


カシュオン山から


写真にはうまく写せないけど、めちゃめちゃキレイで、

函館なんか目じゃない?!


モスクの緑色は日本にないから違った夜景に。



タクシーは、予定より時間がかかったから、

と言って最初に言っていた金額よりも余分に金を請求してきた。


おいおい、話が違うじゃん、と言っても話が通じず。

それも向こうの思惑通りだと気づいたときには時すでに遅し。


もめていると、また1人2人と第三者が入ってプチ法廷になるのがシリア。

お互いが正しいことを第三者に向かって主張する。


結局ちょっと多めに払って事なきを得るが、なんか納得いかないんだよなぁ。

やっかいなのは、お互いが正しいと思い込んでいること。


はじめに宣言された金額以上払わないのが日本のシステム。

金額あげるなんなら、ちゃんと言えよ!いまさら言うなよ!


シリアでは、実質の労働量に見合うかどうか。

今回の彼は確信犯だったのでちょっと気分悪いけど。





宿では日本人と仲良くなり、一緒に30分歩いて酒屋までビールを買いに行くことに。

さすがに30分歩いてまで酒が欲しいかと言われると、

う~ん、、、となってしまうけど、

うまかった~




帰りはタクシーで3人で割り勘。

メーターを回してもらったら、36SPだったから一人12SP(30円程度)で帰れた。

シリアは物価が安いみたい。


8/29 from Amman to Damascus


国境超の日は早起きに。

陽が出ないうちに動き出す。


JETTオフィスの前でダマスカス行きのバスを待っていると、

新婚さんバックパッカ-に出くわした。

これがハネムーンなんだとか。

夫側が昔バックパッカーだったみたいで、奥さんを無理やり連れてきて・・・

そんなん奥さんかわいそうだけど、ちょっと朝からナイスカップルを見た。



国境では、ヨルダン人・シリア人のパスポートはまとめてハンコを押されてたけど

日本人の俺だけちょっと時間かかりやがって・・・

気合で両替も済ませ、バスに戻る。

国境の写真はNGでした。


シリア側の国境では、007で悪役として出てきそうな軍服を着た人たちが

ダラダラとハンコを押していた。イメージ通りでちょっとおもしろい。


シリア側の大地は、ヨルダン側のそれよりさらに厳しいように思われた。

一面に続く砂漠。



寝ている間にダマスカス到着。

アンマン→シリアは200キロ程しかないのだから。



バスで隣に座っていたシリア人は英語がしゃべれる人だったので、

ここはどこなのか尋ねたら一緒についてきなさい、って言ってくれた。

おじさんの案内通りローカルバスに乗り、いろいろと街のガイドまでしてくれた。

おまけに、バスの運賃まで出してくれた。

なんて優しいんだ。


甘えてばかりで申し訳ない。



バスに降りてから目指す宿を探してロンプラを開いていると、

さっとおじさんが寄ってきた。


アイギブユーフリーインフォメーション、ノーマネー!


涙が出そうになる。

シリアが親切な国だってことは聞いてたけど、まさか道行く人全てが

こんなに無償の笑顔と親切をくれる国は初めてだ。


ある人の話によれば、

ミャンマーとシリアが世界で一番親切な国なのだとか。



宿に着く前に靴磨き職人に声をかけらた。

確かに靴磨いてほしかいなってずっと思ってたけど、

荷物置いてからにしよう。


・・・

ノーマネー!!


うそくせー!

でも、シリア親切だしな、本当に靴磨いてほしかったし。


ノーマネーだということを確認して磨いてもらう。




・・・


案の定、破格な値段を請求される。

怪しいとは思ってたけど、、、

ケンカをしてたら通行人がささっ、と仲介してくれた。


こいつはボッたくってるから払わなくていいよ。

って教えてくれた。


結局、正規の料金だけ払った。

やっぱりいくらノーマネーっていったとしても、

うますぎる話に乗るもんじゃない。



すぐさま仲介人が現れ、それも人だかりになるほど集まってくる、

これがシリアなんだ!



宿は宿で居心地バツグン。

↓二階テラスから

ホテル in Damascus



居心地が良すぎたのと、ダマスカスの情報を集めるためにロンプラを読んでいたので

眠くなってソファーで3時間も寝てしまう。


あっという間に夕方に。

ナルギーレを吸うとまた全てにやる気が起きなくなる。

それでも頑張って夜の旧市街へ足を運ぶ。


キレイで、夜でも活気溢れるダマスカスの街。

↓旧市街を囲む門は素晴らしくライトアップ

Damas Night02


ウマイヤド・モスクも美しい光を放つ

↓イスラム教、一応第四の聖地です。

Damas Night






ファラフェルとシャワルマにちょっと飽きてきた頃、

チャイニーズフードを発見。


世界中に繁栄するチャイニーズはアジア人の見方。

焼きそば、ばりうまかったーー。


宿から遠いところで酒屋を発見。

ここはクリスチャン地区だからだ。


一杯飲んだら、宿までトイレが間に合わない。



よし、明日はいい写真がたくさん撮れそうだ!

8/28 from Amman 



アンマンに来たときから気になっていた大きなヨルダン国旗。


ヨルダン国旗02


近くで見て、これがいったい何のためにあるのか確かめよう。

それから、明日のダマスカス行きのバスを予約しよう。

それと、アカバからのフェリーで会ったヨルダン人のおじさんに電話もしなくちゃ。

アンマンへ来たらウチへ寄りなさいと暖かい誘いを受けていたけど、

やっぱり時間なくてあなたの家までいくことができません、と。


そんなグダグダな一日もたまにはいいだろう。



グダグダはいいけど、またもや寝坊してヘコむ。

最近カラダが重い。

寝すぎが原因でカラダが重いのなら最悪だ。


いつものジューススタンドで

ファラフェルとバナナジュースを体に入れて元気を出してから出かける。



アンマンは坂が多いため、道がウネウネしていて

なかなか国旗までたどりつかない。


国旗までの道のりでさまよっていると、

まったく観光客なんていない場所なのに

ナンデニホンジンガココニ・・・

と、日本語で話しかけられる。


彼の名はサイードでJICA関係の人らしい。

日本にも滞在したことがあるらしく、日本語も達者だった。


そんな彼に案内してもらいつつ、国旗までなんとか到着。



ヨルダン国旗

サイードとヨルダン旗。




今晩、ウチで一緒にご飯を食べようと誘われ、

迷いつつも8時に家の前に行くよう約束した。




今回の旅行では、家に招かれてもあまり行かないようにしていたのだが、

今晩は特に予定もないし、夕飯ぐらいならいいかと思う。

何より、彼は信用できる人のように思えた。





ダマスカス行きのバスを予約しに、JETTバスオフィスを目指すけど、

全然どこだかわからない。

人に聞いても、あっちだ、こっちだ、とちゃんと通じているのか不安になるぐらい適当な返事をされた。


ロンプラもわかりづらいし、なんて不便なんだ。

もうキレてきて、感情があらわになる。


旅行をしていると、喜怒哀楽が激しく表現できる。

これだけ自由に感情が出たらいいな、と思うけど、

日本ではクレイジーなやつに写るだろう。



ナルギーレ(シーシャ)(水たばこ)を吸って時間をつぶし、

サイード宅へ向かう。



信用して着いていった彼の家だけど、

彼はゲイだった・・・

自分の中でまたひとつゲイネタが追加された。


俺はゲイじゃないから!とハッキリ主張して了解を得た後、

夕食をいただく。


食事は、期待も虚しくやっぱりファラフェルだったけど、

民家で食べるファラフェルは食堂で食べるのとは一味違っておいしかった。



彼はイスラエルに住んでいたが、色々な危険のせいで、

小さいころからヨルダンに住んでいるらしかった。

それができるのも、彼のおじいさんが経営者で富豪になったからだということだった。


話の途中、間違えて

イスラエルという単語を口にしてしまい、すぐにパレスチナが・・・

と言い直しても時すでに遅し。


中東ではイスラエルとアメリカは悪だ。

ちなみにヒズボラとビンラディンは崇められる。


イスラエル問題の話になったとたん、

彼はそれまで話していた日本語もストップし、

英語で一方的に話してきた。

また、彼は敬虔なムスリムで、ムスリムの素晴らしさをひたすら語ってきた。

彼は、ムスリムに結婚する前にセックスをするやつはいないと言った。

だからビョーキがないんだと。


もうわかった、いい加減そろそろ勘弁してくれと思ったけど、

これもこの地域を旅行している自分には勉強になる。


サイード宅





サイードは、ある日本人の友達からメールが返ってこないんだと嘆いていたけど、

自分も教えてもらったアドレスにメールを返さなかった経験があるから

なんともいえない申し訳ない気持ちになった。


旅行者には旅行者の事情がある。

でも、嘘をつくぐらいなら、はじめからいい顔をしてはいけない。

そう強く思った。



帰路、サイードは途中まで送ってくれた。

結局何もヘンなことは起きなかった。

心配した自分を少し恥じる。




ネットをして宿に帰ると、エドとサンドリンにばったり会い、

これから宿のハニーと一緒に飲みに行くけど一緒に行く?

って誘われて、街の中心から少し離れたbarまで向かう。


Bar


ハニーはイラク人だけど、酒を飲む。

いや、酒豪だ。

俺はイスラムだけど、酒は飲んでもいい。俺にとっては関係ない。


ムスリムにも色々な人がいるもんだ。

当たり前なんだけど。


そんな酒豪の彼はbarに残り、3人は先にホテルへ戻る。



帰りはタクシーをつかまえて・・・と思って、

道路で手をあげていたら、なんと間違ってトラックが止まった。


ヨシッ!ラッキー!!


無駄にトラックをヒッチハイクして宿へ戻る。










あっ、やばい、今日のタスクのひとつ、電話をし忘れた。

嘘をつくぐらいなら、はじめから断るべき。

8/27 from Amman (Dead Sea)

太陽が真上に上る頃ようやく動き出す。
今日は死海で泳ぐことができれば、目標が達成される。

英語がそのままDead Seaなのがおもしろい。

普通のツーリストはアンマンから出ているツアーに参加して行くみたいだけど、
ツアーの人数が集まらなさそうだったので、

ローカルな交通手段を乗り継いでも行くことに。

その前に銀行で両替するのを忘れて、バスターミナル近くの銀行を探す。
また1時間遅れてしまった。最近の自分は、中だるみなのか時間を無駄にしている気がする。
それもこれも旅なんだと切り替えて行くしかないのに、ネガティブな思考が先行する。

死海直前の町、sweimehまで到着した。
ロンプラによると、ここからはヒッチハイクしていくしかない、とある。
そんなこと普通に書くロンプラもロンプラだけど、
本当にそれしか方法がなさそうだ。
しかも、ヨルダンなら簡単かつ安全にヒッチハイクできそうな気がする。

しかたなくヒッチハイク開始。
1台、2,3、4台と猛スピードの車は虚しく通り過ぎて行く頃、
近くにいたおじさんに声をかけられる。

乗り合いタクシー(セルビス)のおじさんか、、、
ちゃんとセルビスがあるんじゃないか。


なんとかアンマンビーチへ到着し、5JD(7ドル)払って、キレイな死海の光景を前にする。


Dead Sea03

対岸に見えるのはイスラエルの大地。


Dead Sea02

浅瀬の白い線は、波ではなく塩のかたまり。




服を脱ぎ捨て、早速海を入ってみる。

すごい・・・すごいすごい!
これは入った人にしかわからないだろうけど、
すっごく浮くんです。
自分浮き輪になったんじゃないか?って思うほど。

Dead Sea



普通の海は、塩分濃度が4~6%であるのに対して、死海は25%の濃度。
この濃い塩分濃度のため浮力が大きいみたい。

もぐることは極めて困難で、こんなところで水泳大会やったらみんなアホみたいにバタバタしちゃうと思う。

だから、サンダルで靴擦れした傷がイタイイタイ。
お尻の穴も少しヒリヒリ。
長時間はいっていることはできなかった。



また、死海は湖面の海抜がマイナス418メートルで、地球で最も低い場所にあたる。



一人ではしゃぐのも何なので、
現地の人たちと仲良くなって一緒に海に入ってみたり。

Friends


彼らはアンマンから車で来たということだったので、
・・・よし、しめしめ、帰りは一緒に乗せてもらえるかも。
と、また良くない期待をしてしまった。
そんな思惑もありつつ、コーラを3本買ってきて振舞う。

なんと、

帰りに一緒に乗って行けよ!
と言ってくれた。言葉は通じなくても、いけるもんだ。
ありがとう!!


帰りはボロボロの車で出発。
途中、ガススタンドへ寄って、ガス料金を割り勘で3JD請求される。
なんだ、そういうことか。
ちょっと理不尽だけど、これも『友達』なのだからしょうがない。

その後、車はハイウェイの途中で急にガタガタとパンピングした。
故障・・・

うわぁ、最悪。
こんなところでなんで寄りによって・・・

一人がエンジンを見て何かいじっている。
俺も少し手伝いたかったけど、車のこと何もわからないし、

何より、それで余計故障させたら取り返しがつかない。

運転していた男が、

これ親の車なんだよ・・・!、
これがぶっ壊れたらヤバイんだよー!
って一人で狂い始めていた。

陽も暮れ始めている。


修羅場突入。

どうにも直らず、途方にくれていると、
一台の車が止まった。

俺は半分メカニックだと自負するおじさんは、
エンジン部分を色々とイジリ初めて、ここがこうなら、次はこれを・・・
と迷わず修理にとりかかる。
かっこいい。

もう一台トラックのおじさんも助けにきてくれて、
雲行きは明るくなってきた。

死海で一足先にサヨナラを告げていたバーレーン人の観光客も加わり、
なんとか自体は収集。

車は無事に走り始めた

・・・

かのように思われた。

がしかし・・・!

またもパンプ。


後方につけてくれていたおじさんたちとバーレーン人たちがまた助けに止まってくれる。
自分にできることといったら、安全な場所まで車を押すのを手伝うことぐらいだ。

原因は同じらしく、今度は比較的すぐに車は走り出す。
しかし余談は許さない。

その後、数度にわたり車は止まり、直し、走り、止まり・・・を繰り返して
ようやくアンマンまで到着。

帰りはバーレーン人の車に乗せてもらって宿まで送ってもらった。
Friends02


人の親切心では日本も負けていないはずなんだけど、
人の災難に対して汗水流して無償の親切を分けてくれる、
そんな何ともいえない状況を日本で垣間見る機会が少なくなっている。


カオスでオールドだからこそ、人の親切心がなくては生きていけないし、
心身にしみる嬉しさがある。

8/26 Wadimusa to Amman

のんびり起きてアンマンへ向かおうと思っていたのに、
アンマン行きのバスが午前10時に最終だと聞いて急いで身支度する。


ナイスなことに、バスターミナルまで宿のスタッフが送ってくれた。
ウーマンウーマン

下ネタ大好きな兄ちゃん、ありがとう!



バスといってもミニバスで、やっぱりワゴンに詰め込まれた。
アラビア音楽の流れる社内でリズムをとっていたら、
最後部に座っていた兄ちゃんたちがおもしろがって一緒に踊ってきた。
隣に座らせられ、また色々と質問ぜめ。

アラビア語がわからないって言っても、そんなことおかまいなしでこっちに興味津々。
バスではしゃぎすぎて他の乗客に怒られたので、おとなしくしていたのに、

踊っていたお兄ちゃんは相変わらずうるさい。

そういう陽気で人懐っこいヨルダン人も好きだけど、
空気を読めない・・・というかしつこいのは正直やめてほしい。
バスで兄ちゃんたちを無視し始めると、俺は銃をもってるんだぞ、
って冗談半分に脅してきた。もう勘弁してくれ。

いつも親切にしてもらっているのに、
放っておいてもらいたいときには急に無礼になる自分にも嫌気が指す。


アンマンに到着して、ロンプラと太陽を手がかりに歩き始めるけど、
一体自分がどこを歩いているのかわからなくなる。
初めての土地で、バスが到着したポイントを掴むのは結構しんどい。
適当に歩き始めてしまう前にちゃんと距離と方向を知っておこう。

30分程歩いて、ちょっとギブアップ気味でおじさんに道を聞いたら、
通りがかりのおじさんが微妙な英語で、
俺も同じ方向だから一緒に行こう、と道案内してくれた。
本当にヨルダン人はやさしい。
返せるのは、精一杯の感謝の言葉だけなのが虚しい。


なんとかホテルに到着して、荷物を降ろしたらロビーで情報収集を。
これからエルサレムの学校へ留学する日本人の大学生におかしを分けてもらったり、
ロンドンから英語の教師として赴任しているエド、旅行者のサンドリンから

色々な情報を分けてもらう。

ホテルを出てフレッシュジュースを腹に入れ、元気いっぱいに出発。

ジューススタンド

このジューススタンドには何度もお世話になった。


街に出てはじめの印象は、アンマンって丘ばっかり・・・。
歩けば坂にぶちあたる。

丘から一枚。
丘が多い街


キャデラックやダットサンが走っていたエジプトから来た自分にとって、
ヨルダンの首都『アンマン』は結構しっかりした都市で、良い車がいっぱい走ってい
た。

↓アンマンの車
ヨルダンの車



聞きなれてきたアラビア音楽のCDを3枚購入した後、
腹が減ったのでご飯を食べようと思うけど、
ちょうどよい食堂が見当たらない。
なんで首都なのにこんなに食べるところがないのか。
気づいていないだけなのかもしれないし、外食文化がないのかもしれない。


なんとかハモスとブレッド、サラダ、コーラの安い庶民ディナーを済ませ、
シーシャを吸いにカフェへ行く。

宿のスタッフのハニーから聞いていた情報どおり酒屋を見つけ、ビールを買ってきて飲む。
アラブ圏では大好きなビールを探すのも一苦労。しかも高い。
いい禁酒になる。